うりおの日記

青年海外協力隊27年度2次隊としてモザンビークのビランクーロという町にいます。職種はコミュニティ開発です。

帳簿付けの普及活動について

現地ではいろいろやったがこの活動が一番勉強になったと思う。

※要約 この活動を通して、援助の人は相手に対する敬意と「相手を変えてやろう」という欲の両方が必要なことを学んだ。最後まで書いてみて分かった。

 

毎日市場で買い物をしていたので露店で野菜とかを売っているおばちゃんたちと友達になった。この人たちと何かできないか、と考えていて帳簿付けの普及を思いついた。任地に行って10か月目ぐらいから始めてみた。当時、近所の人と雑貨屋さんをやっていて帳簿を付けていたのでその延長でやってみた。帳簿付けを入口にして人間関係を深めつつ、データをとりつつ、ゆくゆくは商品の差別化、売り方改善、原価低減ができないかなと思っていた。人間関係とデータがあれば、アイデアはいくらでも出そうに思えた。

 

JICAのお金を使ってノートを100冊購入し、帳簿付けの勉強がしたい人を対象にして市場で配ってみた。翌日行ってみると、彼女たちは市場にノートを持ってこない。一緒に帳簿をつけることも当然出来ない。彼女たちと会話をすると帳簿というのがどういうものかは知っているようだった。「お金の出入りとか商品の在庫を管理するのに重要だわ」というようなことを語ることができる。でも持ってこない。「明日持ってくる」といって忘れるのか意図的なのか不明だが持ってこない。子どもの学校用に使ったと言われた例も結構あった。

 

帳簿付けの勉強がしたい人でノートが欲しい人は自分でペンを用意する、というルールに変更したのだが結果は変わらなかった。結局70 冊ほど配ってみたが一日か二日ぐらいは付ける人がいたがそこから続かず帳簿を付けることが罰ゲームみたいになっていた。活動の入口のつもりで始めたのに入口で思いっきりこけてしまった。

 

ノートを配り始めて二か月ぐらいして、一人のおばちゃんと雑談していて、「みんな全然帳簿を付けてくれなくて悲しいなあ」みたいなことをポロっと言ったら、同情してくれたのかノートを持ってくるようになり、継続して帳簿を付けてくれるようになった。なんだかかわいそうな外国人に現地の人が付き合うという構図だ。

 

最初の一人の影響で一時は10人ほど付けてくれるようになり、結局5人ほどが「毎日、帳簿をつけるように言うと3日に1回ほどつけてくれる」という感じになった。毎日つけている訳ではないので商売の記録としは機能していないし、自発的に記帳するという人はいなかった。

どうやら個人でやっている小規模の商売にとっては、帳簿って、あればいいのだろうけど必要はないようだった。任地でもちゃんと店を構えているところでは基本的に帳簿を付けていた。私が相手にしていた自分の前に1メートル四方のゴザをしいてトマトやらを並べているような人は、自分の感覚で商売をしても問題ないようだった。財布を開けばいくら持っているか分かるし在庫の把握は一目で出来る。帳簿をつける労力に対して得られるであろう良いことが少ないということのようだった。

帳簿を付けることによって劇的に利益が上がるということはない。例えば、最初に帳簿をつけ始めたおばちゃんは、遠くの親戚が病気になって看病に行ったとかで仕入れのお金を使ってしまい商売を続けられなくなった。こういう事例はたくさん見た。親族のイベントを疎かにするという選択肢は彼女たちには存在しないので、いかに商売の記録を残そうがこのような事態は避けられない。結局、帳簿についてあまり強く言うことはせず、とりあえず一緒にいようと思って市場に通うことになった。

 

市場で時間を過ごすことによっていろいろ勉強になった。

 

任地産のものが少ない

 

任地に行った最初から思っていたのだが市場で売られているものの大半は首都のマプトから持ってきたもので、次に多いのが隣国の南アフリカ産、中国産のものもあった。ちなみにマプトへはバスで12時間ぐらいかかる。週に1回マプトからトラックで卸売業者がやってきて市場のおばちゃんたちに商品を卸す。おばちゃんたちはそれを販売するという流通経路が出来ていた。インフラ問題か生産量の問題かそれら両方か、地元産の製品が出回るのは時期が限られており量も少なかった。そこで生産側からアプローチしようと思ってNGOがやっている農家のグループに参加して週に一回農作業をしてみた。参加して一か月ぐらいで農作業をまじめにやるメンバーとサボるメンバーの対立が始まって、各メンバーに土地を割り振って担当の土地だけ耕そうということになり、どこの土地を誰に割り振るかで揉め非常に雰囲気の悪い感じになった。だいたい二か月ほど通ってから止めた。農家のグループが崩壊していく過程を見るのは興味深くはあったのだがそこから何か活動につながることはなかった。

任地産品の流通量が少ないのは事実なので、純粋に収入を向上させることを目的とするならば、奇をてらわずに日常的に食べられる野菜や穀物を生産するのはありだったと思う。それをボランティアがおもしろがってやれるかどうかは別の問題だが。

 

女性が仕事をするのはとても大変

 

市場にはほぼ毎日通っていたのだがいつも居るおばちゃんというのは少ない。聞いてみると、子どもが熱を出したとか銀行に行くとか親戚が病気だとか家の出来事がたくさんあり、彼女たちが市場に来て商売をすること自体がものすごく大変そうだった。商売に割く余力は少ない。日本に比べて子どもが家事労働を負担する割合は高いが、一家の主婦をしながら商売をしているのだから大変だ。

 

現状に満足しているように見える

 

現状を変えることを諦めて受け入れているのか満足しているのかはよく分からないが、変化を望んでいないように見受けられた。望むことは今日と同じ明日で家族が健康ならよし、という感じだろうか。商売を頑張って利益を増やそうとは考えていないようだった。というか現状を維持すること自体が大変そうだった。

 

彼女たちの印象を抽象化すると、「神様がいれば、言葉を換えると死の問題を解決すれば、あとは自分が出来ることを出来る範囲でやって起きたことは全て受け入れる」という感じだろうか。人によって程度の差は当然あるが、彼女たちはこの考え方に近いものを持って生きているように見えた。

 

私の考えは、彼女たちのものからだいぶ遠く、自分を変化させたり、現状を変えようと試みたり、そういうのが楽しいしそこに力を尽くすのが大事なことだと思っていたし今も思っている。彼女たちにもそういう楽しさを体験してもらって「自分の生活を自分でよりよく出来る」という自信を付けて欲しかった。でもどうやら彼女たちはそれを求めていないようだった。

 

彼女たちが持っているように見える考え方からすると、私が考えていることは無駄が多い。環境の違いと言ってしまえばそれまでだが、私の場合は良くも悪くも死の問題の手前の問題について選択の幅がある。その幅を広げながらバタバタしてしんどかったり楽しんだりするというのが私のアプローチで、彼女たちと一緒にそのバタバタをやりたかった。私のアプローチをやろうとするなら、彼女たちの完結した考え方を一度壊し、不安定な状態にしてからしか出来ない。それってすごく難しいし無粋だ。両者の考え方は同じ地平に乗っているとは思うがだいぶ遠い。人生の達人度合で言ったら彼女たちの方が圧倒的に上だと思う。いや、そこで上とか下とか言っている時点でセンスがないかもしれない。

 

彼女たちの商売は儲けが少ない。人にもよるし日にもよるが一日で200円ぐらい、多くて400円程度だ。10円20円の場合もある。彼女たちのことは好きなので、利益が少しでも上がって、おいしいご飯を食べたり子どもにきれいな服を着せたりできるようになって欲しかったのだが出来る気配がなかった。変な表現だが、付け入る隙を見つけられなかった。お金やモノをあげれば彼女たちの生活は安直に改善するが、ボランティア期間中は極力やりたくなかった。

 

援助の人的な発想ではこういう場合、「成功体験を持たせよう」一択なのだが、そうは思わず(思えず)、彼女たちの商売に対して敬意が足りなかったなと思うようになった。例えば同じ商品を同じ場所で同じ価格で売るとか、先進国の人からすると工夫がないように見えることが多いのだが、曲がりなりにも彼女たちは自分の商売で生活を維持している。それってすごいことだよなと思うようになった。

 

そうなると活動のアイデアはあまり出ず、もやもやしながらもおしゃべりしたりして一緒に楽しむ方向へシフトした。彼女たちとお互いの家族の話しなどをしてそれはそれで意味があったと思う。

 

ここまで書いてみて分かったのだが、前半は「相手を変えてやろう」という欲が強すぎて敬意が足りなかった。後半は相手に対する敬意が強すぎた。援助の人としては「変えてやろう欲」と敬意、両方必要なのだと思う。両方の適切なバランスを欠いていた、ということが分かった。

 

 

f:id:uriouriourio:20171023222058j:plain

f:id:uriouriourio:20171023222156j:plain

f:id:uriouriourio:20171023222251j:plain