うりおの日記

青年海外協力隊27年度2次隊としてモザンビークのビランクーロという町にいます。職種はコミュニティ開発です。

今日で実家に戻って一週間たった

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今日で実家に戻って一週間たった。

実家でのんびりしていたらモザンビークのことが急速に「いい思い出化」している。ちゃんと記憶に留めておくためにこの文章を書いている。すでに区切りがついたことなのでFBに求められるライブ感みたいなものはないがライブ録音ぐらいの臨場感はまだあると思う。誰かに読んでもらいたいというよりも自分のためにこれを書いている。

 

追記:あんまりにも長かったので要約を書いておく。三輪タクシーのグループ化はうまくいかなかった。グループで仕事をするには約束を守ることが大前提で、実際に働く中でそこを一番伝えたかったのだが難しかった。

 

 

この文章では三輪タクシーについて書く。

 

主な出来事を時系列で並べるとこうなる。

 

16年6月 三輪タクシーを買う

16年8月 はじめに管理を任せていた人に辞めてもらう

16年12月 グループ化と業務開始

17年3月 メンバーが増える

17年5月 管理を現地の人に託す

現在 観光客向けのツアーを企画中(多分)

 

輪タクシーを買う

 

輪タクシーを買ったのは成り行きだった。ご近所さんで仕事のない人がいて一緒に何か収入源を探すことになった。いろいろ話しをして何かできないか考えて会話の中でお兄さんが三輪タクシーの運転が出来るという話しが出てきた。偶然同席していた大家さんが「タクシーは儲かる!そのアイデアはいい!」と盛り上がって、そのお兄さんとも話し、一台買うことになった。大家とそのへんにいるタクシー運転手に「タクシーを売る気はないか?」と声をかけまくり購入に至った。ちなみに町には少な目に見積もって50台以上のタクシーが稼働している。

 

これでお兄さんがタクシーをやって生活が改善するかというと少し話しは違っていて、お兄さんは車の運転は出来る、出来るのだけど車の免許がないので運転手はできない、だから運転手は別に連れてくるというと言いだした。言語的な問題で意志の疎通が十分でなかったのかもしれないが、軽くだまされた感じになった。が、タクシーはあるし使わないともったいないので、

・お兄さんが探してきた運転手2名が交替で営業をする

・お兄さんが車の使用料を徴収する

・お兄さんが私に車の使用料を払う

というよく分からない二重搾取な体制でスタートした。

 

スタートしてとりあえずは回った。ただしお兄さんとは週に一回会っていたのだが毎回めちゃくちゃ遅れてきた。来ない時もあった。全体的に敬意が感じられない。最初の目的である「ご近所さんの収入向上」はクリアしているのでいいっちゃいいのだがストレスが溜まるし全然つまらない。こちらとしては実務について学んで改善点を探ったりアイデアを出したりしたかったのだがこの体制だとドライバーと直のコミュニケーションもとれずそれも出来ない。

 

お兄さんにやめてもらう

 

という状態が2か月ほど続いてある時「来週時間通りに来なかったら車を貸すのを止める」と宣言した。翌週、ちっとも姿を見せなかったのでご近所さん(お兄さんの妹さん)を呼んで「彼と仕事したくないから車を貸すのを止めていい?」と確認して「いい」ということだったのでそうした。働いてもらっている運転手の一人、エウジェニオを呼んで「お兄さんに車を貸すのを止めてお前に直接貸したい」と伝えたらOKとのことでそうなった。エウジェニオと契約内容について話して車を運転手にローンで販売する形式をとることにした。自分の車なら丁寧に運転するだろうと思ったからだ。その時点で任期が終わるまで1年と少し。この運転手は無事ローンを払い終えることが出来て自分の車をゲットした。ちなみに任地では自分の車を持っている運転手は非常にまれでパトロンに、私から見ればかなり高額なレンタル料を払って仕事をしている場合が多い。契約内容によってはレンタル料を払うために昼夜問わず働く人もいる。私たちの契約では週にだいたい6,000円を返済することになった。結果的には車を売ったお金は購入金額+40%弱になった。

 

グループ化してみる

 

再スタートしてエウジェニオの人柄を見極めつつ実務の勉強をした。エウジェニオは結構賢い奴でこちらの意図や表情を結構読めることが分かった。勉強面ではエウジェニオに対するインタビューと簡単な走行記録を付けさせて内容の把握に努めた。また自分でもたまにタクシーを利用してみた。

 

自分が利用者になって問題はすぐに見つかった。タクシーを呼んでも来ないのだ。来るときは来る。それこそ2分で来る。でも来ないときは来ない。30分、1時間もしくは勝手になかったことにされている場合もある。はまればすごいがダメなときは全然ダメだ。アフリカサッカーと同じ傾向だ。

 

理由は明らかで、例えばこういう場面に出くわした。客としてタクシーに乗っている時、運転手にお客さんから電話が入る。「okすぐ行くよ」と返事をする。私が目的地で降りる。そこに偶然タクシーを待っていたお客さんがいる。するとその場にいたお客さんを乗せて電話のお客さんのいる場所とは違う場所に行ってしまう。要は適当なのだ。

お客さん側も運転手たちの適当さ加減を知っていてタクシーを利用する人は運転手の番号を5つぐらい持っている。電話でかならず相手の状況を確認して確実にすぐ来られる運転手を呼ぶ。任地の人たち曰く「ビランクーロの運転手は真面目じゃないから」とのことだった。

 

代金についても適当で同じ距離を走っても代金が違う。特に私の場合は外国人なので事前交渉が必須だ。もっと言うと私がこの町に住んでいると知らない運転手はおもしろいほどふっかけてくる。暴利でも先進国の感覚からすると異常な高さではないので観光客は払ってしまうのだろう。

 

待ち時間の短縮と過剰請求の防止、課題は二つ見つかった。次は一緒にやってくれる人だ。

 

町で信頼できる運転手が誰かなんてちっとも分からないのでとりあえずエウジェニオに意見を聞いてみた。

「今ってお客さんを待たせることが多いでしょ?グループを作ってお客さんに近い運転手が派遣される仕組みってどう思う?」

「ボス、それはいいアイデアだ。ぜひやろう」

「じゃあ信頼できる運転手を集めといてよ」

「分かった。何人いる?」

「分からんけど5人。来週までに集めといて」

「OK」

という感じになった。現地の人がこちらのアイデアや意見に対して最初から否定することはあまりない。だいたい最初はいいね、とか、やろうよ!とか前向きな姿勢を示す。ただ実際に行動することはあまりない。何か始める時の負荷を想像できないのかもしれない。後で何か適当な理由をつけられて頑張っているのはボランティアだけになるというのは典型的なパターンだと個人的には思う。最初から期待すると肩透かしを食ってしまうので、彼が本当にメンバーを集めるかどうか様子をみてみた。

 

翌週、本当に5人集めたので市場の空いている場所で一度集まってみた。よく言えば活気がある、悪く言えばまとまりがない、みんな思い思いのことをわーわーしゃべって人の話しを聞かない。みんな初対面の私に対して軽いマウンティングをかましつつ現地語まじりのポルトガル語で騒ぐのだが勢いはあり、外人と一緒に仕事が出来ることに興奮しているみたいだった。

初回はとりあえず顔合わせをして後日改めて集まって仕組みについて話し合った。タクシーサービスの質を向上させること、具体的には携帯電話を使った配車のサービスと料金表の作成と配布だ。各運転手は通常個人で営業しておりチームの仕事が入ると空いているお客さんに近い運転手が対応する。お金は売上の10%を管理者に支払うことにした。見込み客をとりあえず観光客にして町にあるホテルや観光案内所など約30か所に配布して始めてみた。

 

始めてみて

 

12月に始めたのだがちょうど観光のハイシーズンということもあり結構利用があった。やっていくうちに改善点も見えてきて週に1回のミーティングで話し合って改善するサイクルも出来た。ミーティングでは

・お金の受け渡し

・その時々のトピックについての話し合い

・安全とかチームワークとかお客さんを大切にするってどういうことかとかについて書いたものを毎回配って話しをする

という三つをやった。毎回かなり盛り上がった。

 

実際の業務の流れもだんだん出来て、

  1. お客さんから管理者に電話が入る
  2. 管理者がグループにお客さんの情報をメールで流す
  3. 手の空いている運転手がどれぐらいでお客さんのところに着けるか返信する
  4. 一番近い運転手を指名して全員に返信
  5. 運転手がお客さんのところに着いた旨を管理者へ連絡

ということになった。

 

このあたりでの問題点は二点あった。メンバーが足りないこととホテルの従業員向けのワイロというか紹介料だ。5人の運転手全員から返信がないことが結構あり、せっかくの依頼を断ることがあった。メンバーを増やすことについては始めて2週目ぐらいから議題に上っていたが運転手たちは消極的だった。もう一点のホテル従業員への紹介料なのだが、観光客がタクシーを使いたい場合、通常ホテルの従業員へお願いする。地元の運転手たちは従業員とコネを作っておき仕事を回してもらう代わりになんらかの紹介料を払っていた。紹介料は観光客からもらった高めの代金から支払われていた。自分たちのチームでは観光客に対しても地元客と同じ価格設定だったので紹介料を払う余地はない。自分のポケットマネーを払うのはナンセンスなのでとりあえず「笑顔パスポート」で乗り切ることにした。

 

メンバーを増やす

 

そんな感じが3か月ほど続き、ミーティングでメンバー不足を解消してお客さんを増やそうという話しがメンバーから出てきた。個人としては仕事が減る方向なので少しはチームのことを考える力がついたのだと思う。結構うれしかった。初期メンバー一人が信頼できる運転手一人を連れてくるということにした。連れてきたメンバーが新メンバーにルールを教えてくれと。結局、自分が直接説明することが圧倒的に多かったが。

メンバーを増やしてとりあえず誰かは対応可能な状態になった。反面、モラルハザードが顕著になった。ヒマな運転手がお客さんの近くにいるとうそをついて仕事をもらう。他の運転手もマネをする。うそが発覚してミーティングで怒る。ちょっとよくなるがまたすぐモラルが崩壊するというイヤな流れが酷くなった。信頼関係の下に成立している仕組みなのでウソをつこうと思ったら簡単につける。たちの悪いことに不誠実な運転手ほど個人の固定客がおらずメールへのレスポンスが速い。結果的に質の悪い運転手ほどチームの仕事を多くこなすようになった。お客さんへの対応の差も広がった。例えば大き目の荷物を運んであげるとか未舗装路も走ってくれるかとか、対応の差が拡大し地元の固定客も利用を控えるようになった。信頼できる運転手を自分で呼んだ方がよいサービスを受けられるということだ。何か手を打つ必要があった。

 

色々模索する

 

まず考えたのは運転手の数をもっと増やすことだ。運転手とのやりとりは携帯のメールを使っている。モザンビークでの携帯使用料は前払い制で、道で売っているクレジットというものを買って利用する。一人に1本メールを打つたびに少額だがお金がかかる。管理者が10%手数料をとって手数料のうちから携帯のクレジットを買うとなると、当時10人の運転手がいたのだがそのあたりがメール本数の限界だった。WhatsUppというLineみたいなアプリを使って、町中全ての運転手をチームメンバーにしてしまえば誰かがすぐにお客さんのところへ行けるんじゃないかと考えた。この案はメンバーが大反対した。運転手たちは廉価なスマホを使っている場合が多いのだがデータ授受を閉じている場合が多い。FBやWhatsUppが勝手に起動してクレジットを消費してしまうからだ。また携帯本体の性能が低いものが多いので少し古い携帯だとデータ授受を開きっぱなしの状態で電池が半日ぐらいで終わってしまう。一日外に出てお客さんからの電話に対応する運転手にしてみれば仕事が出来なくなる。試してみたが全然既読にならず失敗した。

 

地元客を増やそうとビラや名刺を配ることも増やした。これはある程度効果があった、が質のよいサービスを提供できず一回限りの利用に終わる場合が多かった。地元客は運転手と個人的な関係を結びたがる。友人になれれば料金が下がるからだ。対応もよくなる。チームの場合、どの運転手が来るか分からないので地元客はいつまでも普通のお客さん対応から友人対応へ移行できない。運転手側から見ても個人的な固定のお客さんを作りたいのにそれが出来ないというジレンマがある。

 

モラルハザードの状態が続いて、この仕組みは正直うまくないと認めざるを得なくなってきた。うまくないというのは彼らに適していないという意味だ。運転手は全員が個人事業主で自分の利益を最優先にする。マンパワーモラルハザードの芽を常につぶすのは難しかった。あまりに仕事ぶりの悪い運転手には辞めてもらったりしたのだが「チームを裏切ってもその場の利益を最大化できた方が得だ」という考えをなくすことができなかった。本当はこの点を一番変えたいところだったのだが。もともと真面目な運転手は個人で固定客を多く持ちチームでの仕事はあまり必要ではない。不真面目な運転手を管理するにはこの仕組みは穴がありすぎる。

 

現地の人に管理を任せる

 

自分が帰国した後にチームをどうするかも決める必要があった。帰国後、存続させるならば新しい管理者を見つける必要があるが適任が見つからずにいた。運転手が日替わりで管理用の携帯を持ちながら仕事をするという案もあったが、任期中に運転手たちの教育をやっていました、ということで終わってもいいかなと思っていた。と思っていたらメンバーの一人が携帯屋の店長に引き抜かれて運転手を辞めてしまった。ある程度時間に融通が利くし知識もある。管理者の移譲を打診したら「ぜひやりたい」ということだったので任せた。ここでも問題が起きた。新しい管理者が電話をとらないのだ。本業が忙しかったのかそういう状態が2週間ほど続いてお客はほぼゼロになった。まあでも週に1回のミーティングとたまにチラシを配ることを続けるという流れになった。仕組みはあるがほぼ利用されないというのが帰国の半年ほど前だ。その後、少し浮き沈みはあったが最後までそんな感じだった。

 

帰国前

 

帰国前にお別れ会件ミーティングをやってもらった。添付の写真がそうだ。ビールを奨められたのだが、酒を飲む機会が続いていたので「金がないから」と断ったらごちそうされてしまった。

ミーティングはすでに引き継いだ管理者が中心になってやっている。議題は観光客向けのツアーの企画だ。この案は議題としてはずっと前からあったのだが結局着手しなかった。サービス内容を自分ではいいとは思えなかったからだ。町のきれいなところを1時間ほどまわって一人2,000円ぐらいという風にまとまっていた。ホテル従業員へのワイロというか紹介料を前提として議論をしている。うまくすればかなり儲かりそうだ。1時間で2,000円ぐらいは地元の人の感覚だと高い。先進国からの観光客は妥当と考えるだろうか。そもそも比較対象がないのでお客さんがよいと思えればそれでいいのかもしれない。個人的には海岸沿いをぶらぶら歩く方が、いろいろ発見があって楽しいと思う。

まあ何もやらないよりも何かチャレンジをやっていた方がいいので頑張ったらいいと思う。企画だけして動いていない可能性もあるが。

 

任地を離れて首都に引き上げるとき、空港まで運転手の一人に送ってもらったのだが、「ボス、今までありがとう。また帰ってきてくれ。一緒に働こう」と言われた時は複雑な気持ちだった。「ありがとう。またね」とだけ返事をして別れた。