うりおの日記

青年海外協力隊27年度2次隊としてモザンビークのビランクーロという町にいます。職種はコミュニティ開発です。

モザン生活 そろそろ何日目か数えるのが手間になってきた一か月とちょっと

 

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昨日、首都でのオリエンテーション並びに研修課程の全てが修了した。

3日前はホームステイ先への滞在最後の日だった。

ホームステイ先にはとてもよくしてもらった。

 

ホームステイ先のママにプレゼントとして歌を作って歌った。

喜んでくれたようでよかった。

2日前は研修の最終プレゼンをやって昨日は外務省と各受け入れ省庁(私の場合は農業省)へご挨拶にいった。

今日から本配属だ。それぞれの任地にいって活動を開始する。私以外は。

私はまだ首都で用事があるためまだ隊員宿舎に居残りだ。

首都の滞在期間、長!あとみんな行ってしまって寂しい。

こちらに来て何日たったかはまた明日数える。

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モザン生活24日目 2015年10月29日 配属先事前訪問

本配属に向けて2泊3日で任地への事前訪問に行ってきた。

マプトから飛行機に乗って1h30mで任地のビランクーロについた。

とても美しい町だった。

初日の夕食をその辺の食事屋で食べた。経緯は省くがいろいろあって店のおばちゃんととても仲良くなった。2日目の夕食も同じ店で食べたのだがおばちゃんから「あなたは私の息子よ」と言ってもらえるまでになった。

2日目の夜中、モザンに来て初めて下痢をした。

息子に何食べさせてるねん。

というわけで行きつけの食事屋をつくって帰ってきた。

 

・マプト空港での手荷物検査時、職員が勝手に財布を開け数枚の紙幣を強引に掴み取ろうとした。結局奪い返したのだがびっくりしてしまった。今度同じようなことが発生した際、非暴力的手段でどうやって相手にダメージを与えることができるか目下検討中。

・配属先へのご挨拶と住む家の確認をした。

・まだ腹が痛い。

・カメラを持っていくことを忘れたため写真はない。

モザン21日目 チューターとの活動

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今日の午後はボランティアとそれぞれのチューター全員が集まってモザンビークと日本の文化を紹介し合う会だった。

それぞれ食文化やあいさつなどを紹介しあった。

 時間が余ってしまって簡単なミスターコンテストみたいなことをやる流れになった。

 27年度2次隊は9名いて男性6名と女性3名、それぞれに同性のチューターがついている。

モザン人と日本人の女性合計6名が日本人男性6名のうちどれがいいか選ぶのだが、モザン人女性3名中3名が私を選んだ。3分の3だ。100%だ。すばらしい達成だ。モテ期が今来たのか?

 

写真は私のチューターMaxがカプラナを紹介しているところ。カプラナとはモザンビークの伝統的な布で様々な用途に使用する。例:服の生地、赤ちゃんのおんぶ布、帽子、マフラー。なんにでも使用できて大変便利。色や柄も様々なバリエーションがありとてもおしゃれ。写真ではマフラーとしての使用例を紹介している。

モザン20日目 10月25日 日曜日 vol2

 

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この前mamaに洗濯を手でやる方法を教えてもらった。

 

mama「大変でしょう。機械は高くて買えないから手で洗うのよ」

私「大変ですね。体力がいります」

Mama「いい運動になるでしょw日本では機械でやるから簡単でしょ?」

私「確かに日本では機械があるので身体はラクです。でも心や頭を使うことが多すぎて心を病んでしまう人がいっぱいいます。こうやって身体を使って誰かの役に立つ機会というのは非常に重要だと思います」

 みたいな話しをした。その後の会話の流れで精神疾患のことを先天性の知的障害のことだと認識したことが分かった。昨日のお好み焼きといいまた誤った日本を紹介したみたいだ。

 明るく笑いながら作業をしているのだが本当に大変で体力がいる。日本の実家はmax時8人家族だったのだが一日の洗濯物を干すだけでかなりの時間が奪われた。手洗いの洗濯+干す作業だとちょっと考えられないぐらいの作業量になる。この家の場合は水道があるので水は不自由しないし家族数も比較的少ないが地方だと水汲み作業が発生するし大家族も多い。家電製品は家事労働の軽減にとって非常に重要だ。だからといって私が全ての家庭に洗濯機を買ってあげることはできない。家事労働軽減のために何ができるだろうか。出来ることを探すのが私の仕事だ。

モザン生活 20日目 10月25日日曜日

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今日はマプト郊外のお宅にお邪魔させて頂いた。

子供たちを交えて楽しくお話しさせて頂いた。

会合への参加ももう3回目だ。

モザンビークの歌を作りたいという話しで盛り上がった。

締めに大学時代の学生歌を熱唱させて頂いて帰宅した。

 

モザン生活19日目 10月24日土曜日

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現在は首都マプトのホストファミリー宅に住まわせてもらって午前中はポル語の授業、午後はチューター(語学やモザン事情の講師兼世話係のようなポジション)と一緒に行動して勉強する毎日だ。今日でホストファミリー宅に来てすでに10日が経過している。途中に事前の任地訪問をはさむが11月半ばまでこの生活が続く。

ホストファミリー宅はマプト市内の3階建て集合住宅にあり水道も電気も通っている。お湯はでないが朝のシャワー時はmamaがポットでお湯を沸かして水と混ぜてくれるので温かいお湯で身体を洗うことができる。途上国で中間層というのは把握しにくいのだが(ごく少数の富裕層と大多数の貧困層という構図なので平均が見出しにくい)、このお宅は富裕層でもなく貧困層でもない。途上国ではめずらしい中間層だ。

地域の雰囲気は都市部の下町といった感じだ。近所同士仲がよいみたいで子どもが

多い。治安もよいらしく家の女の子(14歳)が夜20:00に外に買い物に行っても問題ないようだ。「危なくない?」と聞いたら「このあたりは泥棒がいないから大丈夫よ」とのことだった。親も引き止めなかったので大丈夫なのだろう。いずれにせよ不自由はない。全然ない。

普段何を食べているのかというと米が多い。長粒種だ。そして量が多い。かつおいしい。アフリカで太ってしまった。モザンの都市部では主に米が食べられているとのことだ。農村部ではとうもろこし粉を水で溶かして練ったものがメインになると聞いている。

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家族はmamaのFlaviaと息子の彼女Edina、娘のSheshe(14歳)だ。他の子どもたちは独立してよそで働いているらしい。Shesheはとてもかわいい。ホストファミリーとして日本人を受け入れるのは初めてらしく最初こそぎくしゃくしたがとてもよくしてくれている。ホームステイが始まった当初は意義が見出せなくて(さっさと任地に行きたくて)ちょっと戸惑ってしまったのだが目の前の人に尽くすという意味ではどこに行っても変わらないなと思い直した。今は一日に一個はホストファミリーに何か喜んでもらえることをするようにしている。例えば日本の写真を見せるとかおみやげを買うとか料理をするとか買い物を手伝うとかちょっとしたことだ。

家族との関係はとてもよい。夜に家族でテレビを見ていると本当の家族なんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。単に私が厚かましいだけという可能性もある。一応日本代表なのでリラックスしすぎないように注意しようと思う。

 

ホームステイ先。3階に住んでいる。

お好み焼きになる予定だった何か日本食。粉を間違えたみたいだ。好きに焼いていいのがお好み焼きなのでまあいいやと思う。「お好み焼きはこうでなければ!(例えばソースはこれでなければとか山芋をいれてふんわり焼き上げなければ)」みたいな関西ナショナリズムはもっていない。味はよかった。喜んでくれたみたいだ。

Shesheはもうお腹いっぱいと言っている。いつもすぐにお腹いっぱいになる。かわいい。

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読書感想17 アルピニズムと死

 

単独または少人数で、酸素ボンベを使用せずに難ルートに挑戦し続ける世界的登山家。沢木耕太郎の『凍』(この本の著者をモデルにしたドキュメンタリー)を読んで以来のファンだ。

山野井泰史に触れるたびに死について考えさせられる。死に近づくほどに生を実感するのってどういうことだ。生きていることってすぐ当たり前になってしまうからなのだろう。

それにしても登山家はよく死ぬ。

 

「限界線から一歩踏み出すたびに、生命が躍動した。安住できる土地を離れ、不安や孤独を感じながらも、克服することが困難で切り立った場所に向かっていった。同じ領域では満足できなかった。」

かっこよすぎる。