読書感想16 自分の頭と身体で考える
体のほんの一部である頭で、身体をコントロールしようとするから変なことが起こるのは当然なんです。
スランプなんて、自分のある状態を良いとして、それにこだわるから起こるので、たえず先を研究していれば起こらないんですよ。
私は「何とかが正しい」と言うつもりは全然なくて、自分が「これに殉じたい」と思うかどうか、「それに美を感じるかどうか」ということしかないと思うんです。
なぜ専門化するかというと、最終的な責任みたいなところからある意味で逃れられるからでしょう。
身体を動かしながら考えないとやっぱ駄目だと思った。ランニングの時間を確保しよう。
モザン6日目
2015年10月11日
モザン生活6日目
今日は所用でマプト市の郊外に出かけた。
連れて行ってくれる予定だった人が当日になって連絡がつかなくなり一人で行くことになった。乗合バス(シャパ)で1時間半ぐらい。
郊外に行くとだいぶ人の雰囲気が変わる。
シャパでは助手席に乗っていてえんえん運転手と話しをしていた(話しかけられていた)。
どこの国?中国?→いや日本。
年は?→33歳。お前は?→36歳→近いやん。
から始まり
ジュースおごれよ→なんでやねん。もっと稼いで自分で買え。
おれにシャパをもう一台買ってくれよ→無理、お金ない。
息子は何人いるんだ?→息子いない。子どもいない。そもそも独身やから。
モザン人の女はいるのか→いない。
Nada nadaなんも持ってねえな→いや希望あるから!→おー、希望ね。
本を読んでいたのだがあきらめた。
このうざさ、いい感じだ。
帰りも偶然同じシャパだった。またえんえん話しをした(話しかけられた)。
モザン5日目
2015年10月10日(土)
5日目はモザンビークに来て初めての週末だったのでマプト市内でマラニックをした。マラニックとはマラソンピクニックの略でゆっくりjogしながら観光をする場合が多い。
6:00過ぎから14:00ぐらいまでjogしてだいたい街の様子が掴めてきた。
昨日のうちに市内の地図を買っておいたのだがあまり使わずにその場にいる人に道を聞きながら進むことにした。ちなみにガーナにいたときも去年ケニアに行ったときもその辺にいる人に道を聞いてうまくいったためしはほぼない。幸い時間はあるし最悪タクシーを使えば帰宅はできるので迷うのも一興ということでやってみた。
結果としてだいぶ遠回りをしたがほぼ市内を一周した。大量の砂埃や生ゴミやら人の汗のにおいその他いろいろを吸い込んだ。ラストは宿舎に続く道の曲がる方向を左右逆に教えられた。30分ほど逆走した後にその事実を知り気持ちが折れたところにちょうど乗合バス(バンを改造したもので庶民の足。限界まで人を詰め込む。様々な国に同じ仕組みのものがあるが国によって呼び方が違う。モザンではシャパという)が来たので乗らせてもらって帰宅した。
だいぶアフリカっぽくなってきた。
写真は、
・露店でパンを食べていたら次のお客さんがスープを注文して、
「お前も食べる?」「いいの?」
「いいよ。お姉さんスプーンもう一個」「じゃあパンをどうぞ」
みたいな感じになった人とのツーショット(逆光)。スープはコンソメ風味でおいしかった。
・シャパの運転手さん
他
参考情報:気候について
10月から3月が雨季で暑い時期になる。4月から9月は乾季で涼しい。結構寒いらしい。現在10月の気候はこれから雨季が本格化する時期で最高気温は30度台後半ぐらい。最低気温は20度ちょいぐらいだ。これから暑さが増すとのこと。今日もまあまあ暑かった。
モザンビーク生活3日目
モザンビークに来て三日目
首都マプトのJICA事務所でオリエンテーションなどを受けている。これから約6週間、首都にて語学のレッスン、健康管理、ホームステイなどを通してモザンビークに馴れる。とても手厚い。気持ちは早く任地に行きたいのだが語学はかなりまずいレベルなのでありがたく受講させて頂く。ちなみに語学のレベルは満足に買い物ができないレベルだ。路上でモノを売り歩いている人にi-phone6(カバー付、ケース無)を400USドルで売りつけられそうになり、それに対して「盗品やん!」とつっこむことが出来なかった。
今朝はモザンに来て始めてランニングをした。ちょっと走ったら偶然ランナーに出会ったので無理やりご一緒させて頂いた。少し行くと海岸沿いに歩行者天国のようなところがあって朝焼けを見ながら走った。寡黙に走るベテランランナーやダンベルを持って歩くおばちゃんやらが居て日本と変わらない。みなさんフレンドリーでよかった。
ちょっとまだアフリカ感が足りない。全然。でも焦らずに。
映画 博士と彼女のセオリー
ALSの勉強になった。アルファベットボートが実際に使われているシーンも興味深かった。
主人公は学生時代にALSを発症して余命二年と宣告される。命の短さを自覚した人間は現在に対する集中力が違う。結果として画期的な研究成果を挙げることができたのではないだろうか。ありきたりな感想だが。現実には70歳を過ぎてもご存命であるが。
自らが唱える学説を人生の途中から覆して真逆のことを主張していた。最初から宇宙には始まりも終わりもないと主張していたわけではなかった。自分が間違えていたときにそれを認める力。天才とはその天才の分野において自分を変える能力がずば抜けて高いのかもしれないなと思った。対象に対して真剣であれば自説を変えることよっておきるネガティブな反応なんてどうでもいいのだろう。
読書感想15 ぼくの命は言葉とともにある
今はモザンビークに向かう飛行機の中だ。ついさっき読了した。
盲ろうの大学教授が自身の体験をもとに幸福とは何かを探求した本。たぶん。
様々な本の引用があって読書欲を掻き立てられる。
『夜と霧』のフランクルが提唱する「態度価値」についての紹介があった。
「人間が彼の生命の制限に対していかなる態度をとるかということの中に実現化されるような第三の重要な価値群が存するのである。その可能性の狭隘化に対して人間がいかなる態度をとるかというまさにそのことの中に、新しい独自な価値の領域が開かれるのであり、それは確実に最高の価値にすら属するのである」
個人的に解釈するとつらい状況でどう振る舞うかでその人の真の価値が分かるという意味だ。
詩の紹介があった。吉野弘という人の『生命(いのち)は』という詩だ。P142-145。
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
この本を読んで一番感銘を受けたのがこの部分だなんて我ながらナイーブに過ぎる。
明日死ぬかもしれないし100歳で死ぬかもしれない。いつ死ぬかが分かっていればそれなりの戦略を立てようがあるのに人生のルールは本当に理不尽だと考えていたが最近何か違うなと思うようになってきた。いや前から違うと分かっていた。生きるということの不思議さにびびっているだけだ。一日一日を感謝して生きるしかない。
ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)
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読書感想14 こころの処方箋
この本をプレゼントする機会があったので再読した。何回読んだかはもうよく分からない。どの章が心に残るか楽しみに読んだ。
今回心に残った章
・ふたつよいことさてないものよ
・100%正しい忠告はまず役に立たない
・強い者だけが感謝することができる
・危機の際には生地が出てくる
私がこの本を贈った相手はちゃんと読んでくれるのだろうか。
というのは相手の勝手なので強制してはいけないですね。