うりおの日記

青年海外協力隊27年度2次隊としてモザンビークのビランクーロという町にいます。職種はコミュニティ開発です。

今日で実家に戻って一週間たった

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今日で実家に戻って一週間たった。

実家でのんびりしていたらモザンビークのことが急速に「いい思い出化」している。ちゃんと記憶に留めておくためにこの文章を書いている。すでに区切りがついたことなのでFBに求められるライブ感みたいなものはないがライブ録音ぐらいの臨場感はまだあると思う。誰かに読んでもらいたいというよりも自分のためにこれを書いている。

 

追記:あんまりにも長かったので要約を書いておく。三輪タクシーのグループ化はうまくいかなかった。グループで仕事をするには約束を守ることが大前提で、実際に働く中でそこを一番伝えたかったのだが難しかった。

 

 

この文章では三輪タクシーについて書く。

 

主な出来事を時系列で並べるとこうなる。

 

16年6月 三輪タクシーを買う

16年8月 はじめに管理を任せていた人に辞めてもらう

16年12月 グループ化と業務開始

17年3月 メンバーが増える

17年5月 管理を現地の人に託す

現在 観光客向けのツアーを企画中(多分)

 

輪タクシーを買う

 

輪タクシーを買ったのは成り行きだった。ご近所さんで仕事のない人がいて一緒に何か収入源を探すことになった。いろいろ話しをして何かできないか考えて会話の中でお兄さんが三輪タクシーの運転が出来るという話しが出てきた。偶然同席していた大家さんが「タクシーは儲かる!そのアイデアはいい!」と盛り上がって、そのお兄さんとも話し、一台買うことになった。大家とそのへんにいるタクシー運転手に「タクシーを売る気はないか?」と声をかけまくり購入に至った。ちなみに町には少な目に見積もって50台以上のタクシーが稼働している。

 

これでお兄さんがタクシーをやって生活が改善するかというと少し話しは違っていて、お兄さんは車の運転は出来る、出来るのだけど車の免許がないので運転手はできない、だから運転手は別に連れてくるというと言いだした。言語的な問題で意志の疎通が十分でなかったのかもしれないが、軽くだまされた感じになった。が、タクシーはあるし使わないともったいないので、

・お兄さんが探してきた運転手2名が交替で営業をする

・お兄さんが車の使用料を徴収する

・お兄さんが私に車の使用料を払う

というよく分からない二重搾取な体制でスタートした。

 

スタートしてとりあえずは回った。ただしお兄さんとは週に一回会っていたのだが毎回めちゃくちゃ遅れてきた。来ない時もあった。全体的に敬意が感じられない。最初の目的である「ご近所さんの収入向上」はクリアしているのでいいっちゃいいのだがストレスが溜まるし全然つまらない。こちらとしては実務について学んで改善点を探ったりアイデアを出したりしたかったのだがこの体制だとドライバーと直のコミュニケーションもとれずそれも出来ない。

 

お兄さんにやめてもらう

 

という状態が2か月ほど続いてある時「来週時間通りに来なかったら車を貸すのを止める」と宣言した。翌週、ちっとも姿を見せなかったのでご近所さん(お兄さんの妹さん)を呼んで「彼と仕事したくないから車を貸すのを止めていい?」と確認して「いい」ということだったのでそうした。働いてもらっている運転手の一人、エウジェニオを呼んで「お兄さんに車を貸すのを止めてお前に直接貸したい」と伝えたらOKとのことでそうなった。エウジェニオと契約内容について話して車を運転手にローンで販売する形式をとることにした。自分の車なら丁寧に運転するだろうと思ったからだ。その時点で任期が終わるまで1年と少し。この運転手は無事ローンを払い終えることが出来て自分の車をゲットした。ちなみに任地では自分の車を持っている運転手は非常にまれでパトロンに、私から見ればかなり高額なレンタル料を払って仕事をしている場合が多い。契約内容によってはレンタル料を払うために昼夜問わず働く人もいる。私たちの契約では週にだいたい6,000円を返済することになった。結果的には車を売ったお金は購入金額+40%弱になった。

 

グループ化してみる

 

再スタートしてエウジェニオの人柄を見極めつつ実務の勉強をした。エウジェニオは結構賢い奴でこちらの意図や表情を結構読めることが分かった。勉強面ではエウジェニオに対するインタビューと簡単な走行記録を付けさせて内容の把握に努めた。また自分でもたまにタクシーを利用してみた。

 

自分が利用者になって問題はすぐに見つかった。タクシーを呼んでも来ないのだ。来るときは来る。それこそ2分で来る。でも来ないときは来ない。30分、1時間もしくは勝手になかったことにされている場合もある。はまればすごいがダメなときは全然ダメだ。アフリカサッカーと同じ傾向だ。

 

理由は明らかで、例えばこういう場面に出くわした。客としてタクシーに乗っている時、運転手にお客さんから電話が入る。「okすぐ行くよ」と返事をする。私が目的地で降りる。そこに偶然タクシーを待っていたお客さんがいる。するとその場にいたお客さんを乗せて電話のお客さんのいる場所とは違う場所に行ってしまう。要は適当なのだ。

お客さん側も運転手たちの適当さ加減を知っていてタクシーを利用する人は運転手の番号を5つぐらい持っている。電話でかならず相手の状況を確認して確実にすぐ来られる運転手を呼ぶ。任地の人たち曰く「ビランクーロの運転手は真面目じゃないから」とのことだった。

 

代金についても適当で同じ距離を走っても代金が違う。特に私の場合は外国人なので事前交渉が必須だ。もっと言うと私がこの町に住んでいると知らない運転手はおもしろいほどふっかけてくる。暴利でも先進国の感覚からすると異常な高さではないので観光客は払ってしまうのだろう。

 

待ち時間の短縮と過剰請求の防止、課題は二つ見つかった。次は一緒にやってくれる人だ。

 

町で信頼できる運転手が誰かなんてちっとも分からないのでとりあえずエウジェニオに意見を聞いてみた。

「今ってお客さんを待たせることが多いでしょ?グループを作ってお客さんに近い運転手が派遣される仕組みってどう思う?」

「ボス、それはいいアイデアだ。ぜひやろう」

「じゃあ信頼できる運転手を集めといてよ」

「分かった。何人いる?」

「分からんけど5人。来週までに集めといて」

「OK」

という感じになった。現地の人がこちらのアイデアや意見に対して最初から否定することはあまりない。だいたい最初はいいね、とか、やろうよ!とか前向きな姿勢を示す。ただ実際に行動することはあまりない。何か始める時の負荷を想像できないのかもしれない。後で何か適当な理由をつけられて頑張っているのはボランティアだけになるというのは典型的なパターンだと個人的には思う。最初から期待すると肩透かしを食ってしまうので、彼が本当にメンバーを集めるかどうか様子をみてみた。

 

翌週、本当に5人集めたので市場の空いている場所で一度集まってみた。よく言えば活気がある、悪く言えばまとまりがない、みんな思い思いのことをわーわーしゃべって人の話しを聞かない。みんな初対面の私に対して軽いマウンティングをかましつつ現地語まじりのポルトガル語で騒ぐのだが勢いはあり、外人と一緒に仕事が出来ることに興奮しているみたいだった。

初回はとりあえず顔合わせをして後日改めて集まって仕組みについて話し合った。タクシーサービスの質を向上させること、具体的には携帯電話を使った配車のサービスと料金表の作成と配布だ。各運転手は通常個人で営業しておりチームの仕事が入ると空いているお客さんに近い運転手が対応する。お金は売上の10%を管理者に支払うことにした。見込み客をとりあえず観光客にして町にあるホテルや観光案内所など約30か所に配布して始めてみた。

 

始めてみて

 

12月に始めたのだがちょうど観光のハイシーズンということもあり結構利用があった。やっていくうちに改善点も見えてきて週に1回のミーティングで話し合って改善するサイクルも出来た。ミーティングでは

・お金の受け渡し

・その時々のトピックについての話し合い

・安全とかチームワークとかお客さんを大切にするってどういうことかとかについて書いたものを毎回配って話しをする

という三つをやった。毎回かなり盛り上がった。

 

実際の業務の流れもだんだん出来て、

  1. お客さんから管理者に電話が入る
  2. 管理者がグループにお客さんの情報をメールで流す
  3. 手の空いている運転手がどれぐらいでお客さんのところに着けるか返信する
  4. 一番近い運転手を指名して全員に返信
  5. 運転手がお客さんのところに着いた旨を管理者へ連絡

ということになった。

 

このあたりでの問題点は二点あった。メンバーが足りないこととホテルの従業員向けのワイロというか紹介料だ。5人の運転手全員から返信がないことが結構あり、せっかくの依頼を断ることがあった。メンバーを増やすことについては始めて2週目ぐらいから議題に上っていたが運転手たちは消極的だった。もう一点のホテル従業員への紹介料なのだが、観光客がタクシーを使いたい場合、通常ホテルの従業員へお願いする。地元の運転手たちは従業員とコネを作っておき仕事を回してもらう代わりになんらかの紹介料を払っていた。紹介料は観光客からもらった高めの代金から支払われていた。自分たちのチームでは観光客に対しても地元客と同じ価格設定だったので紹介料を払う余地はない。自分のポケットマネーを払うのはナンセンスなのでとりあえず「笑顔パスポート」で乗り切ることにした。

 

メンバーを増やす

 

そんな感じが3か月ほど続き、ミーティングでメンバー不足を解消してお客さんを増やそうという話しがメンバーから出てきた。個人としては仕事が減る方向なので少しはチームのことを考える力がついたのだと思う。結構うれしかった。初期メンバー一人が信頼できる運転手一人を連れてくるということにした。連れてきたメンバーが新メンバーにルールを教えてくれと。結局、自分が直接説明することが圧倒的に多かったが。

メンバーを増やしてとりあえず誰かは対応可能な状態になった。反面、モラルハザードが顕著になった。ヒマな運転手がお客さんの近くにいるとうそをついて仕事をもらう。他の運転手もマネをする。うそが発覚してミーティングで怒る。ちょっとよくなるがまたすぐモラルが崩壊するというイヤな流れが酷くなった。信頼関係の下に成立している仕組みなのでウソをつこうと思ったら簡単につける。たちの悪いことに不誠実な運転手ほど個人の固定客がおらずメールへのレスポンスが速い。結果的に質の悪い運転手ほどチームの仕事を多くこなすようになった。お客さんへの対応の差も広がった。例えば大き目の荷物を運んであげるとか未舗装路も走ってくれるかとか、対応の差が拡大し地元の固定客も利用を控えるようになった。信頼できる運転手を自分で呼んだ方がよいサービスを受けられるということだ。何か手を打つ必要があった。

 

色々模索する

 

まず考えたのは運転手の数をもっと増やすことだ。運転手とのやりとりは携帯のメールを使っている。モザンビークでの携帯使用料は前払い制で、道で売っているクレジットというものを買って利用する。一人に1本メールを打つたびに少額だがお金がかかる。管理者が10%手数料をとって手数料のうちから携帯のクレジットを買うとなると、当時10人の運転手がいたのだがそのあたりがメール本数の限界だった。WhatsUppというLineみたいなアプリを使って、町中全ての運転手をチームメンバーにしてしまえば誰かがすぐにお客さんのところへ行けるんじゃないかと考えた。この案はメンバーが大反対した。運転手たちは廉価なスマホを使っている場合が多いのだがデータ授受を閉じている場合が多い。FBやWhatsUppが勝手に起動してクレジットを消費してしまうからだ。また携帯本体の性能が低いものが多いので少し古い携帯だとデータ授受を開きっぱなしの状態で電池が半日ぐらいで終わってしまう。一日外に出てお客さんからの電話に対応する運転手にしてみれば仕事が出来なくなる。試してみたが全然既読にならず失敗した。

 

地元客を増やそうとビラや名刺を配ることも増やした。これはある程度効果があった、が質のよいサービスを提供できず一回限りの利用に終わる場合が多かった。地元客は運転手と個人的な関係を結びたがる。友人になれれば料金が下がるからだ。対応もよくなる。チームの場合、どの運転手が来るか分からないので地元客はいつまでも普通のお客さん対応から友人対応へ移行できない。運転手側から見ても個人的な固定のお客さんを作りたいのにそれが出来ないというジレンマがある。

 

モラルハザードの状態が続いて、この仕組みは正直うまくないと認めざるを得なくなってきた。うまくないというのは彼らに適していないという意味だ。運転手は全員が個人事業主で自分の利益を最優先にする。マンパワーモラルハザードの芽を常につぶすのは難しかった。あまりに仕事ぶりの悪い運転手には辞めてもらったりしたのだが「チームを裏切ってもその場の利益を最大化できた方が得だ」という考えをなくすことができなかった。本当はこの点を一番変えたいところだったのだが。もともと真面目な運転手は個人で固定客を多く持ちチームでの仕事はあまり必要ではない。不真面目な運転手を管理するにはこの仕組みは穴がありすぎる。

 

現地の人に管理を任せる

 

自分が帰国した後にチームをどうするかも決める必要があった。帰国後、存続させるならば新しい管理者を見つける必要があるが適任が見つからずにいた。運転手が日替わりで管理用の携帯を持ちながら仕事をするという案もあったが、任期中に運転手たちの教育をやっていました、ということで終わってもいいかなと思っていた。と思っていたらメンバーの一人が携帯屋の店長に引き抜かれて運転手を辞めてしまった。ある程度時間に融通が利くし知識もある。管理者の移譲を打診したら「ぜひやりたい」ということだったので任せた。ここでも問題が起きた。新しい管理者が電話をとらないのだ。本業が忙しかったのかそういう状態が2週間ほど続いてお客はほぼゼロになった。まあでも週に1回のミーティングとたまにチラシを配ることを続けるという流れになった。仕組みはあるがほぼ利用されないというのが帰国の半年ほど前だ。その後、少し浮き沈みはあったが最後までそんな感じだった。

 

帰国前

 

帰国前にお別れ会件ミーティングをやってもらった。添付の写真がそうだ。ビールを奨められたのだが、酒を飲む機会が続いていたので「金がないから」と断ったらごちそうされてしまった。

ミーティングはすでに引き継いだ管理者が中心になってやっている。議題は観光客向けのツアーの企画だ。この案は議題としてはずっと前からあったのだが結局着手しなかった。サービス内容を自分ではいいとは思えなかったからだ。町のきれいなところを1時間ほどまわって一人2,000円ぐらいという風にまとまっていた。ホテル従業員へのワイロというか紹介料を前提として議論をしている。うまくすればかなり儲かりそうだ。1時間で2,000円ぐらいは地元の人の感覚だと高い。先進国からの観光客は妥当と考えるだろうか。そもそも比較対象がないのでお客さんがよいと思えればそれでいいのかもしれない。個人的には海岸沿いをぶらぶら歩く方が、いろいろ発見があって楽しいと思う。

まあ何もやらないよりも何かチャレンジをやっていた方がいいので頑張ったらいいと思う。企画だけして動いていない可能性もあるが。

 

任地を離れて首都に引き上げるとき、空港まで運転手の一人に送ってもらったのだが、「ボス、今までありがとう。また帰ってきてくれ。一緒に働こう」と言われた時は複雑な気持ちだった。「ありがとう。またね」とだけ返事をして別れた。

モザン生活 535日目 三輪タクシーのメンバーが増えた

輪タクシーのメンバーが増えた。

これまで5人で回していたのが11人になった。

 

そもそも昨年12月に開始して12月半ばには5人では回りきらず私から何度か増員を提案したのだが初期メンバーから反対されていた。

 

反対の理由はいろいろあったが余計なものを削ぎ落とすと、「サービス力を向上してグループ全体のパイを増やすよりも小さくても既得権益を確保したい」というふうに読み取れた。

 

自分では新メンバーの選定は出来ない(自分では各ドライバーの評判が分からない)し、そもそもメンバーが反対している中で強引に増員は出来ないのでとりあえず静観していた。

 

1月2月と回らない状態が続いて全員で方向性を話し合った。話し合いの場では基本的に黙っていることにした。

 

彼らに結論を任せた結果、やはり増員しようということになった。各メンバーが信頼できるメンバーをもう一人呼んで責任をもってルールを教える。プラス一人で3月より11人体制になった。

 

彼らの気持ちが少し変わったかなと思う。多分これがこちらに来て始めての成果だ(ようやく)。

モザン生活 512日目 現地語を勉強している

昨年8月から写真の人に現地語を習っている。

教師のジョアオさんは今年82歳だが非常にお元気だ。

ポルトガル語と英語で現地語のシーツァ語を習っている。

 

現役時代は長年ILOで働いていたとのこと。南アやタンザニアで10年以上勤務した経験があり、英語、ポルトガル語、ドイツ語などのヨーロッパ言語の他、スワヒリ語などアフリカ諸語を十いくつ使えるという国際的なインテリだ。引退後は故郷のこの町で、消滅しかけている言語や民族のルーツなどの研究をしている。

 

ある日、カフェで現地語の小冊子をぼんやりながめてどうやって勉強しようか考えていたら声をかけてきてそのまま教えてもらうことになった。

 

週に2回、1回1.5時間の個人教授だ。正直、教授量が多すぎて全然消化できない。あと細かい文法的なこだわりが非常に強いのでうんざりする。自慢話も多くてかなり消耗する。

 

自慢話のパターンは主に二つある。

ひとつは健康自慢だ。片足で立ってバランスをとる様を見せつけながら「見ろ!82歳で片足立ちが出来るんだぞ!普通はできないぞ!」

もうひとつはワイフ自慢だ。「今お前が使っているクッションを誰が縫ったか知っているか?ワイフだ!彼女は料理も得意で家事で出来ないことはない。商売事にも才能があって云々」

どちらかが最低週に一度は繰り出される。

 

多少話しがくどかろうが、現地語を文法的に説明可能な人は稀だし(他に知らない)、ご長寿クイズに出ていてもおかしくない年齢なのだと思えば腹も立たない。

 

注:仲はいい。先進国と現地の両方の感覚を理解できるので活動について相談することも多い。

 

モザン生活 500日目    帳簿付け普及活動

モザン生活 500日目    帳簿付け普及活動

 

昨年9月ごろより市場の小規模事業主、おばちゃんたちに帳簿の付け方を教えている。

JICAのお金でノートを100冊購入し今までで70冊ほど配った。

 

毎日市場に行って一緒に帳簿を付けるのだがこれが全然うまくいかない。継続して帳簿をつけているのは5人ぐらいだ。すぐに何らかの効果が出るわけではないので面倒くさくなってしまうのだと思う。

 

とりあえず経緯としては、

9月 活動をはじめる。おばちゃんたちに「ノートをくれる人」だと認識される。ノートを配っても家に持って帰ってもう持ってこない。子どもの勉強用に流用される場合が多かった。

10月 ペンを自分で用意したらノートを配るというルールにした。でもあまり効果はなかった。帳簿をつけるのが罰ゲームみたいな感じになってきてあまりしつこく言うのを止めた。それ以降は雑談を中心にした。

11月 ふとしたきっかけで一人が継続してつけるようになった。その後少し人数が増えた。5人ぐらい。今に至る。

 

当初は帳簿を入口にしてどうやって原価を下げるのかとか利益を上げるにはどうすればいいのかとかを一緒に考えたいと思っていたのだが今は帳簿とか関係なく仕事も関係なくいろいろ話しをしている。日にもよるがだいたい一日二時間ぐらい市場で過ごす。全然うまくいっていないがこの活動で勉強させてもらっていることがたくさんある。あとこの活動が一番気に入っている。

 

P.S. 先週、JICAより任期延長を希望するかどうかの確認メールが来て延長を希望しない旨の返信をした。最長でここに住めるのは今年の10月頭に決まった。二年間の前提でやってきたので任期延長はしないが正直なところ全然帰りたくない。ずっとここにいたい。でも「ずっとここにいたい」とか思う時点で早く場所を変えた方がいいよなと思う。

 

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モザン生活486日目 三輪タクシー屋

昨年12月より5人のドライバーと三輪タクシー屋をやっている。簡単に言うと日本では無線でやっていることを携帯のメールで代用している。電話をくれたお客さんに一番近いドライバーを探して迎えに行かせるという流れだ。これまで任地には類似のサービスはなかった。

 

だいぶ前に三輪タクシーを一台購入したので、この分野で何かしたいなとずっと思っていた。アイデアは当初よりあったのだがまとめ役(電話番)が見つからなくてそのままになっていた。とりあえず自分が電話番になって始めた。

 

まずは観光客を対象とし、地図上にホテルやレストランをマッピング、町をいくつかの地区に分割して地区Aから地区Bだといくらというルールにした。

 

特徴は2点ある。

・いつも早い

だいたいは10分以内にお客のところへ行ける。たまに全員サービス中でキャンセルしなければならないこともあるので要改善だ。

・定額

相手が相場を知らないとみるとドライバーは過剰請求をする。観光客は確実にカモになる。ひどいと相場の10倍以上を請求される。

 

2か月で累計90件の依頼を受け、売上が 25,000 メティカイスほどだ。

電話番が売上の10%を徴収する仕組みになっている。初期投資(携帯代、チラシコピー代など)の5,000メティカイスはこれまでに半分回収できた。メティカイスを1.6倍すると日本円になる。

 

私が不在でも問題なく仕組みが続く状態まで持っていきたい。いくつか大きな課題があるがそこを目標にしなければ先に進めない気がする。

 

ちなみにグループ名は『Takuro’s Team』だ。私以外全員の賛成で決まった。

 

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モザン生活482日目 鶏が全滅した

先々週、年一回の隊員総会というのがあった。首都のマプトにモザン中の隊員が集まって日頃の活動報告などをした。一週間ほど首都にいて任地に戻ったら鶏が全滅していた。正確に記述すると40匹が3匹に減った。原因は病気だ。強力な伝染病で口と鼻から水を吐いてふらふらになって死ぬ。近隣で飼育されている鶏は全て死んだ。例年8月に流行る病気らしいのだが今年はなぜか1月に蔓延し、村中で鶏が死にまくった。

 

電話連絡があった後、すぐに村に行き一緒に養鶏をやっているパラフィナさんにまずは不可抗力だったのかどうかを確認した。聞いた限りでは今の自分たちの人脈や知識、経験では防ぎようがなかったので安心した。彼との信頼関係に傷が付かなかったという意味で。あと今の時点で彼の生活が鶏に依存していないというのも救いだ。

 

「これからどうしようか?俺にはアイディアがないよ」

「まあちょっとずつ頑張るしかないね」

「確かに」

 

ということでちょっとずつ頑張ることになった。

 

そんなに落ち込んではいない。一日かけて『花より男子2』を見たら回復するレベルだ。

 

写真は生前の鶏たち。かっこいい。

モザン生活 476日目 お店を閉めた

 

すごく久しぶりなので緊張している。

 

12月の末に近所のジーニャさんとやっていたお店を閉めた。私が帰国したら運転資金が回らなくなることがはっきりしたので今の段階で閉めさせた。

 

要因はジーニャさんとの距離感を間違えてしまったことにあったと思っている。変に安心させてしまった。

 

任地には似たような雑貨屋がすでにたくさんある。多くはインド系の二世が経営していて、私たちの店よりも立地がよく一族で共同仕入れをしているため恐らく原価も安い。最初から非常に競争の激しい分野だということは分かっていた。

 

漠然としたプランではとりあえずモザン人のデフォルトで始めて、恐らくうまくいかないからそこからどんなことが出来るかを一緒に考えて改善するという流れを想定していた、というか一緒に考えて改善するというプロセスがないと活動ではないと思っているのだが、ジーニャさんにとってはお店を始めるのがゴールで、開店後は店の前で座っていてたまに仕入に行けばいいと思っていたようだ。値段設定とか取扱商品はモザンのデフォルトでいいと思っていたが勤務態度までデフォルトが採用されてしまった。さらにはデフォルトから変化させることができなかった。彼女が本音でどう思っていたのかは分からないが、想像するに「外国人のパトロンが出来て困ったら助けてくれそうだしこれで安心だわ」という感じかもしれない。

 

こういう風に考えれば商売にとってプラスなんだよというとこをちゃんと見せてあげられなかったことが残念だ。ケーキとかゼリーなどおかしの試作を一緒にやったのだがピンとこなかったらしく不採用となった。毎日店の前を掃除する活動も商品に値札をつけよう活動も目に見えて売り上げが上がるわけではなく根付かなかった。

 

とりあえず関わった責任として彼女には生活の糧を得させなければいけないのでクーラーボックスを買ってジュース売りをさせている。氷はうちの冷蔵庫で作っている。モザンは南半球で今は夏だ。当面はそれでしのげる。冬はまた別途考える。

 

私としてはお店をやっていろいろ学ぶことが多かったのでまあよかったことに出来る。しかし、彼女にとってはどうだったか。仕事探しを始めた際同僚に勧められた「お手伝いとしてお前が雇え」案を採用した方が彼女にとってはよかったのかもなと思っている。お手伝いさんなら私にいろいろつき合わされたりガミガミ言われずに済んだだろう。ただ、仮に仕事探しの段階に時間を戻したからといってお手伝いさんとして雇用するということはない。新しい価値が生み出せる気がしないからだ。多分似たようなことを始めて似たような問題で悩んでいるんだと思う。

 

今はジュース売りをする彼女に何ができるかを毎日考えている。

 

写真は年越しのお祭りでジュースを売るジーニャさん。夜中なので暗くて分かりにくい。

 

 

 

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