うりおの日記

青年海外協力隊27年度2次隊としてモザンビークのビランクーロという町にいます。職種はコミュニティ開発です。

モザン生活76日目 活動について 何をするのか

そもそもモザンビークで何をするのか書いていなかった農業省管轄のビランクーロ郡経済活動事務所というところの配属になる。農業、漁業、畜産業、観光業、その他商業活動を管轄する事務所だ。

主な活動は農業の新技術を普及することにあるみたいだ。普及員(Extensionista)と呼ばれる人たちが村を巡回して農民に知識、農業資材、種etcを広めている。

私もポジションとしては普及員になる。

配属先かJICAかどちらが作成したか不明だが現在提示されている活動の切り口として、

・近代養蜂技術の普及

・モリンガ(という栄養価の高い果樹)の普及

・ネリカ米(という乾燥に強い米の品種)の普及

・漁業

・観光業

が挙げられている。基本的には自分でネタを見つけてやってよねという感じだ(もちろん配属先と話しをしながら)。

ちなみに私はビランクーロへの三代目の派遣者だ。まずは前任の活動の確認作業から始めたい。始めたいのだがまだ自分の交通手段がない(JICAの規定によりバイクが利用できるのは来年1月末頃から)。同僚が出張する際に車に乗っけてもらうようにお願いする毎日だ。

写真はカジュー(カシューナッツ)の苗木を農民グループに届けたときのもの。大雨で道がぬかるみ動けなくなってしまった。全員でタイヤを掘り出したり車を押したり引いたり。約2時間格闘した。

あせっても意味がないことを身体で理解してきた。

 

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モザン生活76日目 任地について

青年海外協力隊でアフリカに行ってさぞ厳しい環境で生活しているんだろう」と思われている方が多いことだろう。全然そんなことはない。断水は頻繁だがある面では日本よりも恵まれている。

任地ビランクーロ(Vilanculos)はモザンビーク有数の観光地だ。遠浅のビーチが何キロも続く。水の透明度も高い。子どもは水際ではしゃぎ若者は砂浜でサッカーに興じる。沿岸にはリゾート風のBarが並びおっさんたちが波の音を聞きながらビールを飲む。そんな平和な風景を見ながらランニングしている。夢のようだ。

ともかくこの町にお世話になることになった。Zinene kutivana!(現地語ではじめまして)とあらゆるところで言いまくっている。

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モザン生活69日目 活動開始?

先週より任地の役所に通っている。

先週一週間なにをやったのかというと主にネットサーフィンをしていた。

やることがないのだ。

事務所内はフリーWIFIが完備されており受け入れ先のカウンターパートはほぼ一日フェイスブックを見ている。

郷に入っては郷に従えということで一緒になって一日中ネットサーフィンをしていた。日中ネットサーフィン、夕方からビールの生活を一週間やっていい加減うんざりしてしまった。まあ最初はこんなもんかな?

明日からちょっと目先を変えていこうと思う。この町をおもしろがらなきゃだ。

写真は唯一仕事っぽいことをしたときのもの。

4WDで一時間の村に養蜂の巣箱×15を届けた。

緑色の箱が巣箱、腕をけがしている人がカウンターパート(バイクで事故ったとのこと)、ペットボトルの黒い液体が蜂蜜(未濾過)。

 

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モザン生活 57日目

今日はご近所さんのお宅にお邪魔した。

出来ることはなんでもやらさせて頂こうということでスピーチをさせて頂く。家族の話、大学の話、友人の話、抱負を述べさせて頂いた。拙いポルトガル語なのにみなさん真剣に聞いてくださる。

続いて『上を向いて歩こう』ポル語版を歌わさせて頂いた(ポル語名は英語と同じでSUKIYAKI)。知らない歌でもなんとなく一緒に歌って頂けるありがたい国民性だ。合計3回歌った。3回目は録音までしてもらった。

喜んで頂けた様子だ。

Maputo生活はやりきった。

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モザン生活56日目 バイク試験に合格した

今日ようやく受験が出来てバイク試験に合格した。(21/25 18点以上で合格)

様々アドバイスをくれた先輩たちに感謝だ。

合格した後にJICAの事務所に寄ったら調整員さん(私のようなボランティアの面倒を見てくれる人)に「予想外の結果でびっくりしました」と言われた。なめんなよ。

すんごく小さいけど「ポル語初学者でも初回受験で合格」の歴史を作れた。

寮に戻ったら先輩(5回落ちた経験あり)にワインを頂き15:00現在すでに酔っている。

さっきまで酔いながら受験の手引きを作っていた。共有フォルダに保存して今日やるべきことは終了だ。あとはやりたいことをやるだけだ。

寮の掃除などをしてくれているお手伝いさんに「あなたはいつもギターを弾いたり昼からお酒を飲んだり楽しそうでいいわねー」と言われたがちゃんと勉強もしている(と言うことができてよかった)。

これで心置きなく任地に行ける。

ちなみにバイク試験に落ちた場合、運転手つきの車が支給される。好みの問題もあるが客観的に見て車の方が利便性が高い。

モザン生活52日目 まだ首都にいる

モザン生活52日目

要約 バイク免許受験のためまだ首都にいる。最新の予定では来週月に受験、木に赴任

まだ首都にいる。

バイクの試験を受けるための滞在で今日が試験日だったのだが延期になった。

バイク試験について

・選択式の筆記試験

・25問中18問正解で合格

・協力隊員で初回受験にて合格する割合は約3割

・合格者は全員協力隊参加以前からポル語を勉強していたメンバー(うわさによると)

今日ポル語初学者で初の一発合格を達成する予定だったのだが果たせず残念。

以下、日記の抜粋

16日月 学習時間5h

学習開始 テキストの質問の意味が分からない 

17日火 学習時間3h

まだ問題の意味がわからない。分からなすぎて笑える 

一緒に生活している山ちゃん(環境省にて勤務)に「もうその曲(Def Techのconsolidation song)は飽きました。別の曲をお願いします」と言われる。英語のラップ部分を歌うことはあきらめる。

18日水 学習時間4h

午前中バイク受験の手続きで役所へ。来週の水にまた来いとのこと。そんなに待ちたくないので一緒に来ていたJICA現地スタッフに交渉をお願いする。来週月になった。それでも長い。

今日でconsolidation songの練習は終わり。Let’s go as one, consolidation song!

19日木 学習時間1h

チューターMaxの家に遊びにいく。シャパで1.5hほど。ごはんをごちそうになった。日曜にまた会う約束をして帰る。

20日金 学習時間2h

問題の意味が掴めてきた

夜、飲み会

21日土 学習時間2h

二日酔い『スラムダンク』山王戦のところだけ読む

22日日 学習時間2h

チューターMaxと午前中に会う約束だったがすっぽかされる。寝坊とのこと。残念。

スラムダンク』を全巻読む

23日月 学習時間7h

朝一でDona朱美(山ちゃんと同じで環境省にてすでに勤務中)からお説教を頂く。

「まだ今日は終わらないから!あなたがやり残したことは勉強だから!ギターでもネットでもないから!」今日から頑張ります

午前中受験の手続きで役所へ。明日受験日が確定するらしい。明日また来いと言われる。

夕方JICAより電話があり受験日が水になったとのこと。それに伴い赴任日が土に決定。

24日火 学習時間10h

午前中、JICAより電話があり受験日が木に変更になったとのこと。

夕方、近所のモザン人のお宅を訪問する。一緒に居たインド人がインドの月刊誌(英語)を音読して英語を理解するモザン人がポル語に訳す。内容はMr. Minaiが70年代に新聞特派員としてガーナに派遣されたときのエピソード。まだ英語の方が理解しやすい。土に引っ越しする旨を伝える。「ビランクーロ(任地)でもたくさん友人を作ってきてね!」

25日水 学習時間12h

一緒に生活している朱美と山ちゃんが木、金出張のため一緒のごはんもこれが最後だ。ハンバーグを作ってくれた。

26日木 学習時間3h

朝、朱美、山ちゃんとお別れ。

8:00 JICA事務所前にてピックアップ。試験会場へ。システムトラブルとのことで試験日が延期になる。現地スタッフに交渉してもらうが今日の受験は不可とのこと。自分で交渉するので書類を渡すようにいうが拒否される。

最新の受験日は来週月曜日、赴任日は木曜日。ポル語の単語adiar(意味:延期する)を覚える。

あせってもしかたないのでとりあえずランニングをしようと思う。

もう少し朱美、山ちゃんと生活ができるのもうれしい。

写真はチューターMaxお宅訪問時のもの。とてもおいしい食事だった。

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読書感想18 ひとりではじめたアフリカボランティア

 

渋谷ギャル店員 ひとりではじめたアフリカボランティア

渋谷ギャル店員 ひとりではじめたアフリカボランティア

 

モザンビーク北部ニアサ州にて個人でNPO『アシャンテママ』を設立、活動している人、栗山さやかさんの本。ニアサ州は世界的に田舎なモザンの中でも僻地だ。

今年二月ごろネットでモザン情報を収集している中でこの人がやっているブログを見つけたことがきっかけだ。ブログの内容があまりにも衝撃的で、徹夜で読み続けてそのまま会社に行った。

最悪の治安、誰も信じることができない状況、そんな中一人で活動する日本人女性。なぜそんなところに住むのかうまく理解できない。今もよく分からない。正直なところ早く日本に帰ればいいのにとさえ思っている。

 

以下、20151.09.02ブログの投稿

 

 

協会の女性のおうちに、泥棒がまた入ってしまいました。 薄暗くなってきた夕方6時頃に薪につける火を もらいに近所の家に行っている間に泥棒が入り、 毛布、服、水を汲むバケツ、お鍋、お皿、主食のとうもろこしの粉、 彼女にとったらすべての家財道具といってもいいものを盗まれてしまいました。 うちの近くでも夕方6時ぐらいからバイクに乗っていた人たちが 立て続けにカタナで襲われてバイクを奪われることが続いています。 (まわりに人がいたのにもかかわらず) 勉強小屋のある地区で、放火が最近何件があったり、 協会の畑のバナナの木の陰に強盗たちが隠れていて 通行人を襲っていたり、 協会の勉強小屋から歩いて1分ぐらいの道ばたで また朝になってから殺された死体が見つかったり、 昨日の夜は、町にあるマーケットの近くで 首を切断された?されかけた?若い男の子の遺体が見つかりました。 頭部を持って行かれている場合は、黒魔術などに 使うためだったりするのですが、 今回は恨みからくる殺人だったようです。 最近も近所の人が、 私の家のすぐそばで夜、 カタナを持って隠れている人がいたから 気を付けてと教えてくれました。 おとといの夜9時ごろ、 私の家の目の前で「助けてー」って叫ぶ男の子の声がして それから複数の男の人の声がしました。 急いですぐ隣に住むご夫妻に電話しましたが 携帯の電源が切れていて、警察に電話をと思いましたが すぐに来てくれることはないだろうし、 警察の人が怖いと思ってしまいました。 カーテンを少しだけずらして 薄暗い家の前の小道を目をこらしてみると もう誰もいないようでした。 次の日に隣のご夫妻に聞くと、その時間、もう眠ってしまっていたようで 「何もきづかなかったよ、道に血も流れてないし、 携帯電話かなんか奪われただけで済んだんじゃないかな」て。 今後とも十分気を付けたいと思います。 少しでも襲われる人が減るように 家の前にある小道が少しでも照らせるように 電球つけることを考えています。 勉強小屋のある地域にも、やっと電気の配線がきたので 勉強小屋も住んでくれているルーシアさんたちの安全のために 電気をつけさせていただきたいです。 なかなか設置しにきてくれないのですが なんとか粘り強く通ってお願いしたいです。 いつもご支援本当にありがとうございます。

 

 

みたいなえぐい状況が大量に報告されている。

協力隊の先輩から聞くモザンの状況「治安は当然日本より悪いけど人は陽気で食事もおいしいしとってもいい国」とあまりにもかけ離れていて?だったのだがこちらに来て理由が分かった。どうやらこの人が活動するニアサ州があまりにも僻地なため事件が起きても首都まで情報が届かずマスコミに報道されないみたいだ。バッドニュースを流して町の印象を悪くしたくないというという考えがあるとの説もある。また犯罪の方法が洗練されていなさすぎて脅して金をとればいいとことをとりあえず殺して金を奪うということが起きているらしい。

そんな中着実に実績を積み重ねられている。私が知らないだけなのかもしれないが、なんというかアフリカに住む日本人の中で突出している。命のかけ方が。

前著『なんにもないけどやってみた』は主にエチオピアの医療施設での活動が書かれているのだがそちらもとてもすごい内容だった。本当になんにもないけどやっていた。退職時に職場で10冊ほど配ってきたが10冊では足りなかった。

あとがきの最後は『今日があることは決して当たり前のことではないことをいつも感じ、まだ今日があることに感謝して、いろんなことをちゃんと考えて生きていけるよう、これからも一日一日を大切に生きていきたいです。』と締めくくられている。平凡なことばなのにものすごく心に響く。何を言うかじゃなくて誰が言うかだ。

この人には会いにいかなくちゃいけない。

 

ブログ プラ子旅する。 まだアフリカです

http://purako.jugem.jp/?eid=473